政権交代/共生社会へ 膨らむ期待 2009年11月18日 民団県地方本部の李燮潤団長 ◆永住外国人の地方参政権/民団県地方本部 李燮潤団長 「あせらず理解広げ結論を」◆ 永住外国人の地方参政権付与に前向きな姿勢を示してきた鳩山由紀夫首相らに対し、 在日韓国人社会の期待が高まっている。 在日本大韓民国民団(民団)県地方本部の李燮潤(イ・ソッブュン)団長(62)=雲南市=は 「地方参政権の実現は私の人生の集大成。多文化共生社会づくりにも不可欠です」と力をこめる。 李さんの父は高等師範学校卒業後に来日し、大阪府で代用教員をしたあと、いとこに誘われて1939年に 旧吉田村(雲南市)にやって来た。 作業員を雇って土木工事や炭焼き、林業などを手がけていたが、54年、李さんが7歳のときに病に倒れ、 亡くなるまで12年間入院生活を送った。 日韓国交正常化で「在日韓国人の法的地位と待遇に関する協定」が結ばれる65年まで、在日韓国人には 国民健康保険も生活保護も適用されなかった。全額負担の医療費が重くのしかかり、母と兄弟10人で極貧生活を送った。 中学3年だった62年の秋、病院の父から巻紙の手紙が届いた。 「大好きな勉強を続けさせてやれなくてごめんなさい。これからの日本は自動車が基幹産業になる。 修理技術を学んで修理工になりなさい。努力すれば自分の工場も持つことができます……」 助言にしたがって出雲市の職業訓練学校で学んだ。だが先生に就職先の紹介を頼むと「朝鮮人はダメだ」と言う。 1人で松江駅の東にあった自動車販売会社に飛び込み、「僕を使ってください」と直談判した。 その場で試験を受け、翌日、採用を伝える電報が届いた。父に電話すると「すべてにおいて一番になりなさい」と涙声で喜んだ。14年間勤めたあと78年に独立し、旧吉田村に自動車修理販売会社を開いた。 □ 民団活動への参加は、16歳のときの「指紋押捺(おう・なつ)」がきっかけだった。 犯罪者のように強制的に10本の指紋をとられる屈辱感が身にしみた。指紋押捺廃止のほか、国民年金加入や 公営住宅入居を求める運動にも参加した。 日本政府は79年、ベトナム難民受け入れを契機に、国籍などによる差別を禁じる国際人権B規約 (市民的及び政治的権利に関する国際規約)を批准する。 これに伴い、外国籍住民に国民年金加入や公営住宅入居、児童手当受給などが認められるようになった。 永住資格をもつ在日韓国・朝鮮人の指紋押捺が全廃されたのは92年だった。 李さんは、人一倍努力することで職場や地域で評価されてきたという自負がある。修理工時代、営業職も兼務して トップクラスの成績を収め、月給は営業所長の17万円を上回る23万〜24万円だった。 差別や偏見は、誠実な生き方の積み重ねで克服できると信じる。だが「制度」は個人の努力だけでは変えられない。 長年の運動のなかで、「選挙権さえあれば」と何度ももどかしい思いをしてきたという。 □ 最高裁は95年、「自治体と密接な関係を持つ永住外国人に地方参政権を与えることは憲法上禁止されていない」との判断を示した。 欧州を中心に他国と互いに地方参政権を認めあう国も増え、韓国も05年、永住権を得て3年以上の外国人に 地方参政権を認めた。 鳩山首相や民主党の小沢一郎幹事長も付与に前向きだ。 「政権交代で大きな希望が見えてきた」と李さんは感じている。 「あせらず、理解を広げて結論をだしてほしい。在日韓国人だけでなく、200万人の在日外国人の トップランナーとして、日本人も含めてすべての人が住みやすい社会を目指して努力していきたい」(藤井満)
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